伝説の竜を探して

湖や池、川が多い県内には、水にまつわる「竜」の伝説が各地にある。かつて松本平が湖だった時代、「泉小太郎」が竜神である母親(犀竜)の背に乗って岩を砕き、水を抜いて開拓した─という話はその代表格だが、中信地方にはほかにも、竜の話が語り継がれている。三つの伝説を訪ね歩いた。

【中信の竜伝説】その1 泉小太郎

実在したかもしれない!? 語り継がれる「竜神の子」

「泉小太郎」は、江戸時代に松本藩が編さんした「信府統記」(1724年)に載るほど中信地方で古くから知られた伝説で、民話となって人々に愛されてきた。
小太郎ゆかりの地は中信各地にあり、松本市の中山もその一つ。信府統記に「出生地」と記される鉢伏山の麓で、北西には「和泉(いずみ)」という地区がある。和泉川の上流には小太郎が産湯に漬かったとされる「産ケ池」があり、かつては幼い小太郎が暮らしたと伝わる洞穴もあった。
子どもの頃、この洞穴に入ったという中山在住の児童文学者・高田充也さん(96)は「祖母がよく『おら村の泉小太郎のように、強いだけじゃなく、優しくて思いやりのある人間になれ』と言っていた」と懐かしむ。
高田さんが民話を基に書いた物語では、小太郎は岩を砕いた後に母竜と共に濁流にのまれて行方知れずとなり、やがて星となって住民を見守る。信府統記には「小太郎は岩を砕いた後、有明山の麓(池田町十日市場)で暮らした」「父と母が隠れる仏崎(ほとけざき)(大町市常盤)の岩穴に入った」などの記述があり、それに合わせるように各地に伝説がある。
「たくさんの“おらほの小太郎”がいて、地元の人によって育てられている。それがとてもいい」と高田さん。

「昔の人は、人々のために尽くして大きな功績を残した人を神と敬い、語り継いだ。泉小太郎も実在したかもしれない」。そう話すのは、日本古代史を研究する巻山哲雄さん(78、塩尻市広丘吉田)。巻山さんが着目したのは、信府統記で「犀竜は諏訪大明神(=タケミナカタ)の化身」とされている点だ。
出雲国(島根県)の王の子で、相続争いに敗れて松本市の山辺を経て諏訪へ逃れたタケミナカタが、敗走中の自分を助けてくれた、狭い土地で貧しく暮らす人々のために、湖の水を抜く大事業を決意したのではないか|と推論し、「この工事の現場統率者が、和泉出身の小太郎だった」。
小太郎はタケミナカタの子だった可能性もあり、弘法山古墳(松本市並柳)や須々岐水(すすきがわ)神社(同市里山辺)のお船祭りなども、タケミナカタや小太郎と関係があるかもしれないと、巻山さんは論じる。

こうした話を聞くと、地域の神社や歴史的な遺構が色彩を帯びてくる。和泉地区から松本平を見下ろすと、先人への敬意と共に、小太郎のように物事にひたむきに打ち込もうという気持ちが湧き上がってきた。

【中信の竜伝説】その二 梓水神社

「水の神」人々から厚い信仰 乗鞍岳の竜 守り守られ

梓川の源流域、乗鞍岳(3026メートル)の麓にある梓水(あずさみず)神社(松本市安曇)。その名は平安時代に編さんされた歴史書「日本三代実録」に登場し、当時朝廷から従五位下という位を授かったと記されるほど、古くから存在する。
神社の西南に、大野川小中学校を挟んで静かに水をたたえているのが、ご神体でもある御池(おいけ)だ。注ぎ込む川がないのに水が枯れたことがないため、梓川の源泉と考えられた。現在の祭神は諏訪大社と同じ建御名方神(たけみなかたのかみ)だが、もともとは水の神である梓水大神(あずさみずのおおかみ)を祭り、梓川の恩恵を受けて下流で農耕をする松本平の人々から、厚く信仰されてきたという。
人々は池の水を借用し、里の川や田に注ぎ入れて豊作を願った。収穫後、借りた水の倍量を池に返す習わしが、大正期まで続いたという。
「乗鞍岳にすむ竜が、諏訪湖まで続く御池を出入り口に、諏訪の竜と交流したという伝説を、安曇の年配者から聞いたことがある」。そう教えてくれたのは、祖父の代から梓水神社の宮司を務める大宮熱田神社(同市梓川梓)の山田充春(みちはる)さん(65)。御池と同様に、乗鞍岳にも水神がいると考えられた。「水の神様は竜神だといわれるため、そんな伝説が生まれたのかもしれない」。巨大な竜の頭が乗鞍岳の権現池に、胴体は御池に、尻尾は諏訪湖にあったという伝説も残る。

安曇で茶屋、宿として110年以上続く「福島屋」の3代目で、地元の歴史に詳しい福島眞さん(72)は「梓水神社も御池も、とても神聖な場所。竜神が怒るから、池に石を投げ入れたらだめだよと言われてきた」。
長い階段を上った先にある拝殿の梁(はり)「虹梁(こうりょう)」には、思わず感嘆の声を上げてしまうほど見事な彫刻が施されている。竜神伝説があるためか、湾曲した左右の「海老(えび)虹梁」に、絡まるように竜が彫られている。
拝殿は1943(昭和18)年、豊科町(現安曇野市)の大工・小見田静次と三治郎の兄弟によって建て替えられた。彫刻は小見田兄弟と同じ新潟県出身の木嶋治郎が、3年かけて彫ったという。木嶋の彫刻は独学で、下絵を描かず木に直接彫り込んでいったと、福島さんは当時を知る人から聞いた。「戦争の真っただ中に、お金を出してよく造った。それだけ地元の人たちの思いは強く、大事な神様だということ」
そこには竜神に守られてきた人たちが、守り続ける竜神がいた。

【中信の竜伝説】伝説その三 御嶽山

高みの池にすむ五色の竜 三ノ池には今も白竜が…

長野・岐阜県境の御嶽山(3067メートル)。山頂付近にある五つの池に、それぞれ竜がすむという伝説がある。麓の王滝村がまとめた「王滝村の昔ばなし」(2015年刊)には大昔、一ノ池に白、黒、赤、青、黄の5色の竜がすんでいたが、山に登った人たちが池をのぞくため竜が怒り、一ノ池を押し破って二、三、四、五ノ池を造り、分かれてすむようになった|とある。
NPO法人木曽ユネスコ協会が執筆・編集した「朱印帳御嶽山三十八史跡巡り」(09年刊)には、五つの池に祭られている竜神は陰陽五行思想と池の方位で定められ、一ノ池が白、二ノ池が赤、三ノ池が青、四ノ池が黒、五ノ池が黄とある。

「御嶽山は雨量が多い。水神として竜をあがめたほか、自然現象が竜に見えたのでは」と話すのは、御嶽山の魅力や火山防災の知識を伝える「御嶽山火山マイスターネットワーク」代表で、王滝村職員時代に村誌の編さんにも携わった澤田義幸さん(67、同村)。
学生時代からシーズン中は山頂近くの山小屋を手伝う澤田さんによると、付近に出た霧の合間に、池の一部が見えた時などは「竜が走った」と話題になるという。自身は十数年前まで行った村民登山で、池を見ながら竜の伝説を子どもらに話し、「悪いことをすると(竜に)襲われるぞ」と語ったことも。
「村には別の竜伝説もある」と澤田さん。滝越地区の池「シンガハタ」には昔、大蛇が住んでいたが、ある時、御嶽山の方で雷鳴がとどろき稲妻が池の上を走った瞬間、大蛇がものすごい勢いで立ち上がり、みるみる竜に化身し、雷鳴と共に御嶽山に昇った。三ノ池には今も白竜が住むという。
この白竜は信仰の対象にもなり、「大きな音を立てると機嫌を損ね、山の天気が荒れる」といわれている。今も御嶽信仰の講社の人たちが参拝に訪れ、昨夏には三ノ池のほとりで倒壊していた「三の池白龍王」のほこらが再建された。
「山頂近くの池に、竜のさまざまな話が伝わるのは、神秘的な霧や雲など下界では見られない現象が起きる御嶽山ならでは」。澤田さんはそう言って山を見上げた。

例年6月に出現ドラゴンアイ

竜の存在を思わせる現象は今も。御嶽山の9合目にある三ノ池では例年6月、コバルトブルーの雪解け水の中心に丸く残る雪が「竜の目(ドラゴンアイ)のように見える」と、登山者や写真愛好家らの人気スポットになりつつある。
秋田・岩手県境にある鏡沼で残雪期に見られる「八幡平ドラゴンアイ」に似ているが、三ノ池は最深部が約13メートルと国内の高山湖で最も深く、竜のすみかとしてよりふさわしいのは御嶽山の方かも?