【記者兼農家のUターンto農】#100 育苗

まさに温室育ちの箱入り娘

4月は、記録的な暖かさで始まったのに、下旬は急に寒くなり、リンゴなどの凍霜害まで起きた。季節が5歩進んで4歩下がるような春にあって着実に成長を続けた作物がある。稲の苗だ。
当たり前といえば、当たり前。何しろ、温度管理されたビニールハウスの中にいるのだ。しかも、苗床の箱には、養分が調整された培土が敷き詰められている。
まさに温室育ちの箱入り娘。公園デビューならぬ田んぼデビューの田植えまで、外の厳しい環境から守られて過ごす。
大事に苗を育てて移植するのは、どこでも昔から変わらない稲の栽培法だが、不思議でもある。他の穀物と比べてあまりに違う。
稲、小麦、トウモロコシは「三大穀物」と呼ばれる。人類が長く栽培し、主食にしてきた。三つとも同じイネ科に属する。
その中で育苗が主流なのは稲だけだ。小麦やトウモロコシは畑にじかに種をまく。分類の上ではきょうだい分なのに、稲とは真逆のスパルタ式を強いられる。
稲を育苗する理由を調べると、均一に育てられる、丈夫に育つといったことが挙がる。つまり、稲を農産物として効率的に栽培するには、かなり人工的に環境を整える必要がある。中国の長江中下流域が原産とされる作物を日本で育てるのは、そもそも無理があるのだろう。
ただ、最初に日本に渡ってきたのが稲だった。縄文時代終わりには水田で作られていたという説がある。中央アジア原産の小麦が伝わったのは弥生時代。中南米生まれのトウモロコシは、ようやく16世紀になってやって来た。
日本の人々は、稲作に取り組み、米を食べて文明を培ってきた。稲作で営々と重ねてきた工夫の粋が、箱入り娘の温室育成なのだ。
最近はコスト削減や技術発展を背景に、田んぼに種をまく直播(ちょくはん)栽培も広がり始めたが、うちのような家族農には育苗が似つかわしい。田植えは5月下旬。今年も無事にデビューしてほしい。