【記者兼農家のUターンto農】#130 ワインバレー構想

春を待つブドウ畑=3月11日、塩尻市片丘

盛り上がりに期待も不安も

「信州ワインバレー構想」なる言葉に出合ったのは2013年、まだ東京の新聞社で働いていた。産地をひとまとめにしてブランド化する戦略に新鮮みを感じた。
同じ頃、「日本ワイン」という言葉もよく聞くようになった。海外ものが圧倒的なワインの世界で、堂々とローカルの看板で勝負しようという姿勢に郷土愛をくすぐられた。
地元・塩尻がワインどころなのは知っていた。旧塩尻市農協の造る一升瓶入りは、実家の食卓の常連だった。
ただ、私の生まれた片丘地区ではブドウ作りは少なかった。「桔梗ケ原ワインバレー」は地理的にも心理的にもちょっと遠かった。
やがて状況は変わった。帰省するたび、どこそこがブドウ畑になったという話を聞くようになった。メルシャン(東京)が大規模に畑を借りるとか、個人がワイナリーを始めるといったニュースが目に入ってきた。「お前も、どうだ」と父は冗談交じりに言った。
ついには昨春、「片丘ワイン振興協議会」なる団体までできた。小松千万蔵会長は県議だった12年前、一般質問でワインバレーを取り上げたという。ただ、当時は産地に片丘を想定していなかった。それがワインを軸にした観光を考えるようになって、MGプレス記者になった私も期待を込めて記事にした。
だが、ここにきて心配の種ができた。
今月11日に同協議会が開いたワインバレー構想の勉強会。招かれた県の担当者は、新年度の支援策は予算1500万円弱と説明し、「小さい額だが」と言い添えた。
さらなる産地確立に向け、地理的表示(GI)取得を生産者に勧めたいとする一方、その経営効果は調べていないとも言った。農家から、苗木の品種を選ぶ参考にしたいから需要予測をしてほしいと請われたが、前向きな答えはなかった。
ワインバレーの看板は立派だが、中身の“発酵”準備が整うのはこれからか。
地元農協の一升瓶ワインは2年前に生産が終わった。なじみの味がなくなるだけのブームにはなってほしくない。