【ビジネスの明日】#09 KING SWING社長 赤羽厚基さん

ブームの先駆け常に進化続け

「ラーメンは自己表現。常に“進化”と“深化”を続けていきたい」と話すのは、県内のラーメン店ブームの先駆けとして現在、松本市などで直営6店を運営する「KING SWING(キング・スウィング)」(同市市場)の赤羽厚基社長(46)だ。創業20周年の今年4月、旗艦店「凌駕(りょうが)IDEA(イデア)」を長野市に初出店する。
大学卒業後はサラリーマンをしていた赤羽さん。当時、都内では新進気鋭のラーメン店がマスコミなどに取り上げられ、「自分も店を出せばテレビに出られるかも」と2000年9月、1号店の「凌駕」を塩尻市広丘高出にオープンした。
「成功する自信だけはあった」というが、1日50杯程度だったのが徐々に増え、100杯を越えて150杯近くになったところで、勢いがなくなった。
そこに転機が訪れる。県内の情報誌の企画で、当時「ラーメン王」として著名だった評論家の石神秀幸さんが来店することに。赤羽さんは「周りの人は『めちゃくちゃ言われたらどうするの』という反応だったが、自分は『やってやる』という気持ちだった」と振り返る。
赤羽さんは、1杯目に最も自信がある「こってり醤油(しょうゆ)ラーメン」を出し、石神さんは「まずまず」という反応。そして2杯目に当時珍しかった、あっさりめの「煮干醤油ラーメン」を出した。
すると、石神さんは衝撃を受けた表情を浮かべ、このラーメンを絶賛。「煮干醤油─」が情報誌の表紙を飾ると一気に客が増え、カウンター9席と小上がり1つという小さな店で、1日最高496杯を売り上げた。創業から2年後のころだ。
看板商品を確立し、05年に2店舗目の「凌駕IDEA」を松本市征矢野にオープン。そのころには店名が全県に知れ渡り、フランチャイズ契約の申し出も来た。種類が異なるラーメンを提供する「麺とび六方」などの店も展開した。
「凌駕」の長野市進出を、赤羽さんは「多くのお客さんから要望を受け、一つの目標だった」とし、「ここで商品の味はもちろん、社員の働き方などじっくりと腰を据えて土台をつくりたい」とする。
また、多くの若者がラーメン店の経営にチャレンジすることについては「情熱があれば、どんどん出てきてほしい。自分の刺激にもなるし、負けない自信もある」と先駆者のプライドをのぞかせる。
(浜秋彦)

【プロフィール】
あかはね・あつき 松本市出身。東海大第三高校(現東海大付属諏訪高校=茅野市)、東海大学卒。2店舗目の凌駕IDEAを松本市征矢野にオープンした2005年に運営会社の「KING SWING」を設立し、社長に就任。17年に凌駕IDEAを同市高宮南に移転。46歳。松本市。
※IDEAはEの上に点