【ビジネスの明日】#34 富成伍郎商店代表 富成敏文さん

“豆腐は相棒”果てない味の追求

「豆腐は自分の相棒であり、人生の節目を思い出させてくれる栞(しおり)でもある」。こう語るのは豆腐など製造・販売、富成伍郎商店(松本市原)の3代目、富成敏文代表(58)だ。数々の品評会で何度も最高賞を受賞しているが、「味の追求に終わりはない」と、“相棒”に情熱を注ぐ。
2014年に工場の隣にオープンした直売店には豆腐のほか、豆腐を加工したスイーツや総菜なども数多く並ぶ。高タンパク、低カロリーでミネラルも豊富な豆腐は注目の「健康食品」だ。
「煮ても焼いても、つぶしてもと、何でもできるのが豆腐」とし、想像力を働かせながら、さまざまなことにチャレンジし、可能性を広げることから、自称「お豆腐アーティスト」でもある。
一方、「日常食」としての豆腐は、「高級志向でも安さで競っても駄目。そのバランスが大事」と強調する。

高校卒業後、「店を継ぐのが嫌だった」と、上京してサラリーマンに。周囲の「せっかく継ぐ店があるのにもったいない」の声に翻意し、3年で仕事を辞め、都内の豆腐店で修業を始めた。
その2年後、富成伍郎商店に入社。25歳の時だった。現状を打破し、店を大きくしようと、土地や量産のための機械も購入。ところが、機械を発注した会社が、一部未納の状態で倒産。量産体制は整わないまま、借金だけが残った。
「周囲に認めてもらおうと、焦っていた。若さゆえの過剰投資だった」と振り返る。
量産の方針から「味で勝負」に切り替え、移動販売を始めた。口コミで徐々に評判が広まり、味にほれ込んだ数人のお客が、移動販売の仲間に加わるという連鎖も起きた。
商品に手応えをつかんだ40歳のとき、県内の大手スーパーマーケットに売り込んだ。数分の面談で終わってからしばらくして、スーパーの幹部が工場見学に訪れた。そして「うまいよ」と、言った。
一日限定400丁の注文をもらった。その後、スーパー各店からの個別注文に切り替わり、取り引きが始まって1年後には一日2700丁まで増えた。
現在、一日5000丁製造するうち、約8割をこのスーパーに卸す。「最初はダメ元で持ち込んだ。1年で認められるとは」としみじみ語る。
豆腐作りに携わり30余年。今後について「豆腐は木の幹。それがうまくないと、枝葉も育たない。そこだけはぶれずにいきたい」。

【プロフィル】
とみなり・としふみ 1963年、松本市出身。松商学園高校卒。89年、富成伍郎商店入社。98年、代表就任。同市岡田松岡在住。