【記者兼農家のUターンto農】#84 三九郎

大人になり触れる伝統行事

どうして三九郎と呼ぶのだろう?幼い頃は考えなかった。大きくなって、どんど焼きという名称に触れ、左義長も知った。むしろ三九郎はマイナーな呼び名だということも。
Uターンして、この火祭りに再び参加すると、確かめたくなった。なぜ三九郎?
松本市文書館の窪田雅之特別専門員が諸説を挙げてくれた。燃やす人形の名、祭りをつかさどる神主の名…。ただ、どれが有力とも言えない。「分からないことを考えるのが面白い」と窪田さん。その気持ちは分かる。
行事の意義も、いわれがいろいろあって、はっきりしない。窪田さんに教えてもらって驚いたのは「予祝(よしゅく)」だ。秋の豊作を前もって祝う意味があるという。いい加減というか、あまりに楽観的というか。それだけ切実な願いなのかもしれない。
予祝は、三九郎が農村と結びついた行事であることの表れだ。かつては城下の内ではやらない所が多かったという。私の地元は農村のど真ん中だが、幼い頃はそんな意味合いはつゆ知らず、一連の行事を楽しんでいた。
三九郎はどこでも子ども主体の行事だった。だから、少子化の影響をまともに受けた。簡素になったり、やらなくなったり。うちの地域も、今はやぐらを作らず、当日に正月飾りやわらを持ち寄って焼いている。
隣の集落はやぐらを作っている。「一緒にやれればいいのに」とつぶやくと、父は「道祖神が別だから無理じゃねえか」。そういえば、確かにどちらも道祖神の近くで行われている。農村祭事の一環という三九郎の側面に、50歳近くになって触れた思いがした。
各地で三九郎の姿が変わることに、窪田さんは「人の営みが変われば民俗事象も変わる」と柔軟に見ている。「松飾りをごみに出せない、どうにかしてやるじゃん、と大人が続ける集落もある」
形にこだわらず、今、ここで行う意味に向き合い、やり方を考える。そうやってつながる伝統もある。