Uターンする前から思っていたことがある。どうして田んぼの様子を見に行くのか。
大雨のさなか、農家が自分の田んぼや近くの川の様子を見に行って流される被害がニュースになる。大雨警報が出ていて、行政やメディアが「田んぼや川に近づかないで」と呼び掛けていることも多い。それなのになぜ、と疑問に思っていた。
その不可解な行動を自分が取ったのかも知れない。豪雨に見舞われたこのお盆、父と田んぼや用水路を見て回ったのだ。
出かけていいかは考えた。雨は小降りになっていた。行き先はごく近所で、慣れた舗装路を歩く。用水路の幅はせいぜい30センチ。2人連れで、万一の時はもう1人が救助に回れる。そう判断した。
行くと、田んぼの1枚が満水状態だった。排水口に水が勢いよく流れ込んでいた。ちゃんと機能している。
もし詰まっていたら、あぜから水があふれ出すだろう。あぜや土手が崩れるようなことになったら、この後の水管理が難しくなる。収穫に影響する。崩落の改修も大変だ。
用水路は、ゴー、ゴーと音を立てていた。あふれたら土手を削りそうな勢いだが、あふれてはいなかった。
帰宅して、長年の「どうして」が解けた気がした。この一時が1年かける栽培の出来や田んぼの造りに関わるとなれば、どうしても気になる。それに勝手知ったる場所や水路なのだ。しかし、そこに落とし穴があるのだろう。心理学で言う「正常性バイアス」。つい、自分はいつも通り安全に行き来できるだろうと思ってしまう。
ただ今回、用水路の流れを実際に見て、少し恐れは感じた。もしもっと雨がひどかったら、もしもっと水路が大きかったら…。でも、やはり田んぼが心配だから、いつもの場所だから、と見に行く。その先にニュースで知る悲劇がある。そんな実感がした。
これから台風シーズン。危険を感じるセンサーに素直でありたい。
【記者兼農家のUターンto農】#20 田の水管理
- 2021/08/28
- 記者兼農家のUターンto農