【中村小太郎・駆け出し百姓の自然農奮闘記】#21 「きのうのパン屋さん」始めました

「きのうのパン屋さん」というネーミングを思いついたのは、開店の数日前のことです。
東京にいた頃、嫁さんがパン屋さんを開きました。大きな都立公園の前の5坪の小さなお店でした。軌道に乗るまでが大変でした。何がって、売れ残りのパンです。心を込めて作ったパンを廃棄するのが本当に嫌。自宅の食卓は3食とも売れ残りパンでした。
そんな時です。常連のご婦人が開店前にスポーツウエアでいらっしゃいました。「あいにく開店前です」と申し上げると、「違うのよ。捨ててしまうパンはないかしら」とおっしゃいます。広い公園には8人のホームレスの方がいて、ご婦人たちのグループがボランティアでラジオ体操前におむすびを配っていると言います。
渡りに船とはこのことか!「明朝からお寄りください」とお答えしました。この時から、売れ残りのパンは、捨てるものではなく、誰かのためになるものになりました。
時は過ぎ、昨年末、塩尻市内のパン屋さんが廃棄パンの有効活用に苦労されているという話を聞きました。まかしとき!土曜の売れ残りを日曜に近所で配ることにしました。
自然農法でお野菜を作っていると、スーパーに並ぶようなそろった形にはなりません。大根が二股になっていても、捨てられません。売れ残りパンの話もそれに似ています。
さてネーミング。パンをお渡しする時に、施しとは思われない工夫が絶対必要です。2日間うなりました。そうか、正直に言っちゃおう、「きのうのパン」だ、と。捨てたくないからもらってください、と。
降ってきました「きのうのパン屋さん」。毎週日曜、吉田東公民館と中島書店高原通り店の駐車場にいます。